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■展覧会 

グ ル ー プ ヴ ェ ル ジ ェ 第 1 回 展       2007年6月4日〜6月9日    

出展作家 : 新井隆  西谷之男  畑中義延    賛助出品 : 中村清治 先生


新井隆
「アトリエの静物」
30F(90.9×72.7cm)



西谷之男
「赤い花束」
10F(53.0×45.5cm)



畑中義延
「川辺の村」
30F(90.9×72.7cm)



中村清治
「バラ等の静物」
10F(53.0×45.5cm)


グループ・ヴェルジェの記念すべき第1回展に際しまして、 新井隆先生、西谷之男先生、畑中義延先生、各々に師である中村清治先生、故橋本博英先生との出会いや思い出を伺いました。

中村清治先生のこと
 中村先生は短い言葉により、具体的で的確にお話をして下さる。
 セザンヌの悪影響を受けて短い筆触ばかりが、がさがさと目立つ私(当時画学生)の描いた人物画を見て、「ざるのようで形が曖昧です。ゆっくりとした実線で形を捉えなさい。そうすることで、線で囲んだ内側に与える筆触と色彩も、より厳密にせざるを得なくなります。」
 色の明度、彩度を損なわないようにとの思いから臆病になり、脆弱に陥った私の静物画を見て、「○色と○色とを混ぜたものに○色か○色を少し加えた色(かなり濃く鈍い色になる)を大量に作り、画面全体を塗り潰し、すぐに布で全て抜き取って、はじめからもう一度やり直しなさい」と言われ、「一度色を消し、明暗だけの絵(単色画)に戻してヴァルールを確かめ、それをベースにしながら、徐々に色を加えて行くということです」と具体的に教えて下さった。実行すると、今度は立体感や前後感(デッサン・ヴァルール)を実感しながら色を塗る事ができ、発色も艶を帯びた。 “戻してやり直す”ことが後退ではなく、前進であることを実感した。
 中村先生が担当されたTV番組、NHK趣味百科「絵画への誘い」では、先生の助手を務めさせて頂くことになった。私は、伊豆大仁(おおひと)の小高い山頂にある中村先生のアトリエへ数回伺い、先生御自身が制作をされている同じ部屋で、石膏デッサンをすることができるという幸運に恵まれた。
 山の上の静寂の中を時間はゆっくりと流れている。中村先生の絵の中に流れ、息づいているものの“けはい”を、アトリエの大空間とそこに置かれた物たちの中に感じ、石膏像に対しながらも私は、先生の絵の中の登場人物として、画中に佇んでいるかのような感覚を得た。 「本当の仕事をしなさい」と先生はひとこと言われた。
 阿佐美絵画科の教室で初めて中村先生に絵を観て頂いた日から30年近くが経過した。30年前の中村先生は、現在の私の年齢より5つ程も若い。その頃既に新進画家として立ち、さらに強いオーラを放ちながら中堅への地歩を固めて行かれる頃のその姿を仰ぎ見、その人から直接に指導して頂ける機会に恵まれた事、そして現在もなお、同様に接して下さっているということの有難さ、幸せをこの頃ますます強く感じている。
※ヴァルール・・・色価。画面の各部間の色彩の色相、明度、彩度の相関関係をいう


橋本博英先生のこと
 2000年3月1日、友人3人と共にお見舞いに上がった。 早春の光の差し込む病室は白く明るく、僅かに開けられた窓から入る微風に、カーテンが揺れていた。
 大きな体をベッドの上に横たえられたまま、橋本先生はいつもの様に挨拶して下さり、友人の持参した、花の咲き始めた桃のひと枝を仰ぎ見ながら、「きれいだ」とつぶやかれた。いくらか汗ばんでおられたご様子だったが、肌艶は良く、外見に大きなお変わりもなく、掛け布団を脇に押しやり、ゆったりとそして、堂々としておられた。
 笠井誠一先生、中村清治先生、土井弘二氏もお見えになっており、私たちもそこに同席させて頂いた。 橋本先生は、酸素吸入のマスクを口元からずらしながら、普段より息は荒かったのだが、軽い冗談も交えて、私たちにいくつかのお話をして下さった。 病魔も橋本先生の頭脳とお声までを奪い去ることは出来なかったように思われた。
 会話の中で橋本先生は、「ルネッサンス期に絵画は確立しており、そのとき既に画面上の問題も解決されている。絵画が方向を見失っている今、もう一度そこへ立ち返らなければならない」という内容のことを言われた。
 常々、様々な機会を通して繰り返し言い続けてこられたことなのだが、阿佐美の学生を前にして、絵画について雄弁に語っておられた、あの頃の先生のお姿が想い起され、懐かしさがこみあげた。しかし同時にそれは、私たちが今後取り組まなければならない重要な課題でもあり、私は背筋の伸びる思いで橋本先生のお言葉を受け止めた。
 思いがけず長居をしてしまい、良い言葉も思い浮かばないままに辞去のご挨拶のみを申し上げると、橋本先生は、横になられたまま少し頭を上げられ、うんうんと頷くように何度も首を縦に振りながら、満面の笑みで私達を見送って下さった。
 その3日後、橋本先生の訃報に接した。 橋本先生とは笑顔でお別れする事となったのだが、その時に投げかけて下さった一瞬の命の輝きは、鮮やかな印象として私の心の中にある。そしてそれは、年月を重ねても褪せることはなく、むしろ日毎にその鮮明さを増してきている。 それは、残像や思い出などというものとは異質なものであると私は思っている。


2007年3月31日 新井 隆 <「薔薇」10F(53.0×45.5cm)>


中村先生と橋本先生の思い出
 10代の頃、地元で働きながら、絵描きになることを夢見ていた時期があった。 情報の少ない田舎町にあっては、美術雑誌が唯一の情報源だったが、その頃見ていた「月刊美術」誌上には、中村先生や、橋本先生の絵が頻繁に紹介されていた。特に、中村先生の人物画の形の美しさには憧れたものだった。
 その後、幸運にも両先生の指導する阿佐ヶ谷美術専門学校で絵を学ぶことになったわけだが、中村先生が同級生の絵に筆を入れて指導する時などは、その仕草の一つ一つを憧れと緊張感の中で見つめていたのを思い出す。じっくりと対象を観察しながら、丁寧な筆さばきでしばらく描き進めると、いつのまにかその同級生の絵は美しく変わっていた。絵と取り組む姿勢など、その雰囲気から大いに学んだものだ。
 橋本先生ともまた、阿佐ヶ谷美術でご指導いただいたのが始まりである。絵に関しては、決して妥協を許さない人で、批評会となると、とても厳しいものだった。しかし、批評会の後などでは、学生の打ち上げにも必ず参加してくださり、一緒にお酒を飲みながらお話を聞くことが多かった。卒業後も、いろいろなところでお会いするたびに、その後どこかへ飲みに連れて行ってもらうということが多かった。そんな時も、いつも絵の話が中心で、本当に絵の好きな方だった。そして、その理想を追うことの喜びをいつも感じておられるような方だった。
 「志の高い絵描きになれ」何かの文章の中で書かれた言葉だったと思うが、先生に教えられたことは、結局その言葉に尽きるような気がする。
 今回、縁あって、グループ・ベルジェ展に参加させてもらえることになったが、10代の頃の、絵描きになることや、先生方への憧れの気持ちを思い出すと、まったく夢のようなことだ。 この展覧会を良い研鑽の場にして、これからも理想を高く持ち続け、人を感動させることの出来るような絵を描けるように努力してゆきたいと思う。


平成19年3月  西谷之男 <「休日の木陰」30F(90.9×72.7cm)>


 畑中義延先生は18歳から20歳に阿佐ヶ谷美術専門学校の前身である洋画研究所で、中村清治先生、橋本博英先生に出会い教えを受けられました。両先生の絵をみてこの学校に入学を決めたそうです。在学中は中村先生に人物画をよく手直しされたのだとか。
 その後、フランスへ渡ってから中村先生とスケッチ旅行をする機会があり、アヴァロンやヴェズレーなどの風景をスケッチしてまわったときのこと、「僕はスケッチをする場所をいろいろと変えたりしていたのだけれど、中村先生は一箇所にとどまり、集中して描かれていた。その後ろ姿が印象的だった。」
 中村先生、橋本先生はとにかくよく絵の話をなさいました。展覧会の時、皆で集まり、お酒が入ったりする、そういうときはいつも絵の話。特に橋本先生からは細かいアドバイスを頂くことが多く、何度か手紙でのやりとりもあったそうです。また、橋本先生には鎌倉のアトリエを使わせてもらっていて、畑中先生はある時期そのアトリエを拠点に制作活動をされていらっしゃいました。 「先生たちの生き方や、絵に対する姿勢は真摯で、黎の会など展覧会で仕事ぶりを拝見したりするなかで学んだことが多かった。中村先生、橋本先生は絵を描くのに必要なことを自分たちが苦労して習得した分、それを体系づけて残したこと、朝の会など発表の機会をつくってくれたことなど、後進の面倒をほんとうによく見てくださった。なかなかできることではありません。尊敬し、感謝しています。」
 「まだまだ語りつくせないけど・・・」と、中村先生、橋本先生との思い出は畑中先生の胸の中に大切にしまってあるようです。 グループ・ヴェルジェは中村先生の発案で結成しました。今回の展覧会については、 「“阿佐ヶ谷”は絵の基礎・基本を学ぶところ。今回のメンバーは“阿佐ヶ谷”出身だが、月日が経ち経験や実績を重ねたなか、“阿佐ヶ谷”で学んだことをベースにそれぞれがどのように個性化していったのか、並べてみたときにどうなるのか楽しみ」と語っていらっしゃいました。(文・西村 知子)


平成19年3月 畑中義延 <「朝の窓外」8F(45.5×37.9cm)>

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