R.A.M.によせて
昨年、第1回目のR.A.M.展から1年が経ち、再びこの3人の画家は、同じ「場」において自らの表現の提示をする機会を得ることが出来ました。
継続的な発表の「場」を与えられるということはことさら若い画家によって願ってもないチャンスです。とても幸運なことですがしかし、同時に画家としての役割や責任も問われることになるのです。
ただ単に好きで描いていた絵から深い表現に向かう過程。更に、社会にとって必要とされるべく道程をこの画家たちは今まさに歩んでいるのです。 『見えないこと触れられないことを見たいと思い触れたいと思い制作をしてきた。(中略)まだ見えぬ「それ」「そこ」に辿りつきたいと願い、思う。』と伴戸玲伊子は制作について語っています。
彼女の作品は、対象をただひたすら凝視することで得られる類いの表現ではありません。視線の先には特定の対象などなく、あるのは精神を研ぎ澄まし常にものごとの微妙な変化を捉えようとする眼差しです。彼女の表現には「sight」だけでない「in sight」(内なる眼)の存在を感じずにはいられません。
奥村美佳の作品に必ずと言って良いほど描かれる「木」。その木には、一つの花も咲かず実も生っていません。しかし、その木からイメージできるのは、大地から清らかな水を吸い上げ、きれいな空気と瑞々しい生命を誕生させるエネルギーです。それは彼女自身の心の置き所そのもののように思えるのです。「抑揚の効いた絵肌そして色と線が画面の中で溶け合い一つの塊となる見るものに迫ってくる。」藤倉明子の最近作の印象です。更には躍動力、流動性そして飛翔力。そういったこの画家本来のエッセンスが画面から沸きあがろうとする予感。そういうものを感じずにはいられません。
ウイリアムモリスは、その活動と思索の中で、ウェルス(wealth)とリッチェイズ(riches)という言葉を区別して用いました。ウェルスとは、自然を大切にし人々の支えあいの精神に基づく豊かさを意味し、リッチェイズは、人を支配し自然を破壊してゆく富のことです。
先行き不透明なこの現代社会はまさにリッチェイズに支配され、ウェルスを渇望しているかのように思えてなりません。
この3人の画家の作品から溢れ出るのは、見るものに大地や動物や人間のことを想起させ心や記憶をいきいきと活性化させる存在、つまりモリスの意味するウェルスの精神であってほしいと願うのです。
真の意味で「社会から必要とされる」画家となるために。
佐藤美術館 主任学芸員 立島惠
